第5話 PublishとCommunicate(2003.10.4)
2003.10.14 初版で公開した文章、読み返してみると内容が少々散漫で、しかも同じ文末表現の頻出など表現面も問題がありました。
全面書き換えも考えたのですが、未完成品をさらけ出した責任もありますので表現面を少々手直しするにとどめました。
最近、ディズニーのテーマパークとはあまり関連が深くないコンテンツをおいたところ、従来とは違ったゲストにきていただくようになっています。
具体例としては、d-essaysの第20話「フェミニストはシンデレラストーリーを否定するか」や、d-mobileの第3話「最近blogを読んでます」は、知らないうちに掲示板やblogサイトなどでコメントをいただいており、しばらく経ってからアクセス解析のリンク元をたどって知るといった具合。公開されたWEBでは当たり前なのですが、ディズニー系のサイトでは比較的少ないことなので新鮮です。
今回の主題は、後者「最近blogを読んでます」についていただいた「s0s-bl0g」でのコメントから着想したものです。
コメントの内容についてはもとのblogを見ていただきたいのですが、ここに書かれた「Publish」と「Communicate」という二つのキーワードが、強く心に残りました。blogに限らずWEBでの情報発信を考える時、この二つのどちらに軸足を置くかによって評価は大きくぶれますし、会話もすれ違います。
すべてのWEBサイトオーナーがどちらに軸を置くかを自覚的に選択している訳ではないでしょうし、読者も無意識にモードを切り替えているはずですから、ふだんは大きな問題にはなりません。しかし、WEB、あるいはその形態(あるいは方法)としてのblogの意義や将来像を考えようとする際には非常に重要なファクターになってきます。
読めばすぐおわかりのとおり、私が書いたエッセイの軸足は明確に「Publish」に置かれています。エッセイだけでなく、「d-mate.com」全体が私にとってPublishの場です。
私は決してすべてのサイトにPublishの姿勢を求めている訳ではなく、Communicate主体のサイトに魅力があることも十分承知しています。ただ、質の高いCommunicationが生まれるためには、サイトオーナーによるPublishが不可欠なのではないでしょうか。
たしかに、世の中には掲示板の集合体である人気サイトがいくらでもありますが、WEBの黎明期で選択肢がなかった時期ならばともかく、人が集まる課程ではサイトのコンテンツ自体の魅力が大きな役割を果たした時期があったはず。掲示板を並べれば自動的にCommunicationが始まることなどありえず、人を集めるのはコンテンツの力やプロモーション、つまりPublishingです。
そもそも私達はなんのために貴重な時間を割いてWEBサイト運営などをするのでしょう。なにか関心のある事柄について人に伝えたいことがある、だれかとそのこと柄について語り合いたい、という希望があるからではないでしょうか。おわかりの通り、前者がPublishであり、後者がCommunicateであるといえます(単にやってみたいから、はやりだから、という理由もあるでしょうが、そういったサイトはすぐになくなるでしょうからここでは除きます)。
そもそもCommunicationは受動では始まりにくいもの、街中でただ立っていたり、見知らぬ人に突然話しかけたりしても会話が始まることなど期待できません。だれかと会話をするには、相手に自分を見つけてもらい、時間を割いてCommunicateするに足ると認めてもらうステップが不可欠です。言い換えれば、そこで展開されるCommunicationの質は、オーナーがPublishしたコンテンツの質に依存します(むろん、あるテーマに関心を寄せる集団の平均的な表現力による影響も大きいでしょうが)。コメントがつかないサイト、つまらないコメントしかつかないサイトは、やはりそれなりのゲストを集めているサイト(すなわちそれなりのゲストしか集められないコンテンツ)なのだと私は思います。
それでは、「質の高い」コンテンツとは何でしょうか。
これに対する回答を私はまだまとめきれていませんが、ヒントはblog::TIAOのこのテキストにあると考えています。すなわち、「伝えたい何か」と「伝えたい誰か」がかなり明瞭に意図されていること、テキスト中の表現では「ハート」の有無がコンテンツの質を高める大きなファクターではないかと考えています。
私はただだらだらと書き連ねられた日記サイトや、一体何が云いたいのか判然としないテキストを評価しません。しかしこうしたサイトが決して少なくないのは、コンテンツの不足だけによるものではなく、書き手にとっての読者の不在、読者を想定して伝えるために書くための意思と技術の訓練不足によるのではないか、というのが現時点での私の仮説です。
決してすべてのWEBサイトが読者を意識したコンテンツのみを公表すべきだなどというつもりは毛頭なく、どんなサイトであれ(法を犯したり正当な理由なく他者を誹謗し傷つけるものでないなら)自由に作れ、公開できることが何より重要だと信じています。ただ、より充実したCommunicationを求めるなら、まず自分自身による発信を変えることが重要なのではないかと思います。
<2003.10.4 2003.10.14改訂>
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