d-essays

第16話 悪文を巡る自己批判(2002.12.26)

無くて七癖などといわれますが、文章というものは書き手の癖が現れやすいもののひとつです。仕草や口癖とは違い、文章は何度も時間をかけて読むことができる上、WEBや印刷物などの形で残るために癖も目立ちやすいのです。
私は、「えーっと」という口癖があり、人前で発表やプレゼンテーションをするときにはなるべくこれをいわないように気をつけています。それでも、話に勢いがつき始めるとたがが緩みはじめ、気がつくと口癖を連発していることに気付くことが少なくありません。
また、手癖のほうでは、会議中などに集中力が低下してくると右手でほおづえをつきながら右のもみあげの下あたりを人差し指でひっかくというのがあり、これを見抜いている人には「あ、あいつ退屈してる」とわかってしまうはずです。
意識していてもなかなか減らないのが癖というもので、普段は「あの人、また『えーっと』っていてるよ」と数えられる程度で済みますが、文章の場合には少々問題です。そして、文章に表れる癖、それも悪文につながるものは、注意を怠らなければ排除可能なものであるだけに、後悔の種となりがちです。

さて、私の文章の癖のひとつは、接続詞の多用です。
「ところで」「しかし」「ただし」「したがって」といった語は、複数の文章間の流れを理解するために役立つものですが、使いすぎると逆効果となり、肝心の流れが見えにくくなってしまいます。推敲の段階で不要なものは削るのですが、単に削るだけではよけいにわかりにくくなる場合もあって簡単ではありません。
二番目の癖として気になっているのは、文末表現の癖と重なりです。
過去に掲載した文章を読み返すと、私は文末表現として「〜と思います」「〜なのでしょう」を盛んに使っています。「〜かもしれません」なども含めて、書いている内容に自信がないことの表れといえます。これらの表現がが多いと文章そのものの論旨に説得力がなくなることはもちろん、文章が冗長になってしまうという副産物まであります。また、これらの文末表現が続いてしまうと、文章が非常に読みづらく、醜いものにさえなってしまいます。
三番目に、文章そのものの長さが指摘できます。
第5話を書いたあたりで後悔をし始めたのですが、「です・ます」調の文章は「だ・である」調に比べて冗長になりやすいものです。ただでさえ、私の文章はWEBの雑文としてはまわりくどい傾向がある上に、気を抜くと冗長になりがちな文体を採用してしまったために、長くて読みにくいものになっており、時間があれば書き換えたいとさえ思えます。
四番目の、最大の問題はテーマが不明確なまま書いている文章があることです。
文章には伝えたいテーマがあり、そのために実例やさまざまな見解などを交えながら論を進め、結論に至る流れが存在します。とうぜん、テーマや結論があやふやなままに書かれた文章は、読んでも何も伝わってこないものになってしまいます。残念ながら、読み返すとこの手の文章がいくつかあるのがわかります。
このように私の文章は決して良い文章とはいえず、実際に私が意図したのとは正反対の理解をした上で反論をいただいたこともあります。一方で読み手の読解力を疑わざるを得ない反論も多いのは事実ですし、そもそもWEBでの文章は「読み流されるもの」であるという傾向は否めません。それでも、注意深くない読者にも伝わる文章を書くことが望ましいことは確かです。

以前のエッセイでも書きましたが、私はWEBに掲載する文章は「他人に読んでもらうためのもの」であり「読んでもらえるように書くのが礼儀である」と考えています。
もちろん、力量や推敲にかける時間には限りがあり、その努力が不十分なものに終わるのはいつものことです。実際に「読むに耐える文章」ができているかどうかは読者の方々に判断いただくしかありません。ましてや、文章を書いてお金を稼ぐことの難しさは、WEBに掲載する雑文を書く努力などとは比較になりません。
私自身も、何年か以前にライターの真似事をした経験を持ちますが、自分の得意分野でさえ、読みやすく主題が明快な文章を書くのは困難を極めました。ましてや、依頼に応じて書く評価記事などは勝手もわからず、最後になった仕事には大きな悔いが残っています。
個人が運営する趣味のWEBサイトに載せる雑文は、お金をいただいているわけでもありませんから雑誌記事と比べると緊張感もかなり小さなものですが、それでも人目にさらす以上は論旨の混乱や単純なミスなどは避けたいと思っています。
私が別エッセイで略語や符帳の使用を批判したのも、文章は読者を想定したものであるという前提に基づいています。
それゆえ腹立たしいのは、WEBのニュースサイト等で見かける劣悪な文章です。誤字脱字はともかく、論旨が不明確であったり、誤りが書いてあるものが極めて多いですし、終盤になって突然テーマが変わり、収拾がつかないままに放置されている文章を見つけることさえできます。PDAで書いたから文章がひどくても容赦せよなどと、勘違いも甚だしいと思いませんか?
特にパソコンなどの評価記事によく見られますが、対価を受け取って書いているのであろう文章にもかかわらず、プロとしての自覚はないのかと問いかけたくなります。かつて私がそうであったように、サラリーマンが余暇に書いたものも多いのかもしれませんが、たとえ専業でなくとも、対価を受け取った以上は仕事なのですから言い逃れはできません。
文章は書き続け、推敲を重ねることで良くなるものです。原稿料泥棒としか思えない「ライター」が存在する一方で、感心するほどうまい文章が並んでいる個人サイトも多くあります。こうしたサイトの多くに共通しているのは、コンスタントに文章を発表し続けていることのように思われます。人気サイトともなれば読者からの感想も多いでしょうから、自然と読みやすい文章を心がけるようになり、文章力がより向上している、という好循環があるのでしょう。
このエッセイコーナーもそんな好循環に乗れるよう、来年はもう少し更新の頻度を高められればと思います。少なくとも、1年の締めくくりを悪文懺悔で終わらせずに済むよう、簡潔でわかりやすい文章と魅力的なテーマ探しを心がけたいと思っています。

<2002.12.26>

いかがでしたか? よろしければ簡単なアンケートにご協力ください。


お名前をどうぞ(ハンドルネームで結構です)

このエッセイの評価をどうぞ

面白い!
まあまかな
もっとがんばりましょう

どこでこのエッセイを知りましたか?(ここを知ったサイトや検索エンジンなどを教えてください)

よろしければメールアドレスを(任意です)

 

back