d-essays

第10話 なんてたってドナルド!(2001.8.25)

このサイトは、「d-mate.com」です。
独自ドメインを取得する際、どんな名前が良いかかなり悩むものと思います。私たちも例外ではありません。
このサイトの管理者夫婦は、もちろんDisneyのファンでもありますが、とりわけ、ドナルドダックに惹かれています。せっかく取得する独自ドメインでは、Disney関係のサイトであると共に、ドナルドのファンであることが表せるものを、と考えました。
また、このサイトでは当初からDisneyだけでなく、趣味の写真やビール造りについても扱っていこうと決めていましたので、こうした拡がりも可能な名称をと考えた結果が、「d-mate.com」だったのです。こんなにわかりやすいドメインが2000年末に取得可能であったことは、ちょっとした驚きでした。
トップページにあるとおり、「d-mate」の「d」は、「Disney」であり、「Donald&Daisy」であり、「Digital Photo」であり、「Dog」であり、さらには「Drink Beer」でさえあります(この調子だとかなりこじつけが可能なのですが)。
もっとも、現在の当サイトの情報は、ドナルドに関して特に厚いということはありません。他のキャラクターに比べて写真がちょっと多いくらいでしょう。これでは、少々看板倒れかもしれません。まだ影も形もない「"自"ビールづくり」も含め、今後の更新にご期待ください。

さて、なぜ私が数あるディズニーキャラクターの中でも、ドナルドに惹かれているのか、というのが今回のテーマです。
ディズニーに関するWEBサイトをあちこち見て回ると、ドナルドと恋人のデイジーはかなりの人気であることがわかります。共通して見受けられるのは、彼らが単なる「いい子」ではなく、ワガママや短気などの欠点を持ち合わせ、私たちにとって親しみやすい存在であること、そして歩くとぴょこぴょこと揺れるしっぽのかわいらしさが受けているようです。
ドナルドダックが登場した背景は、あまりにも有名です。
1928年の誕生以来、一躍大スターになったミッキーマウスは、だんだんと子供達のお手本になれる「お行儀の良い」キャラクターに変質していきます(「蒸気船ウィリー」や「プレーンクレイジー」に登場するミッキーは決して良い子ではありませんでした)。しかし、お行儀の良いキャラクターではおもしろいアニメーションを作ろうにも限界があるのは当然で、安心して悪事(?)を働かせられるサブキャラクターが必要になったのです。そこで、1934年に「かしこいめんどり」でデビューし、すぐに人気を呼んだ小ずるいアヒルのキャラクター、ドナルドに白羽の矢が立てられた、といったことです。
このエピソード自体は、あとからこじつけたなのかもしれませんが(筆者がこの説を最初に目にしたのは、中公新書の「ドナルドダックの世界像」でした)、じつに納得の行く誕生秘話といえるでしょう。

ドナルドの性格といえば、短気で、お調子者で、カンシャク持ちで、身勝手で小ずるい、というものです。こんなのが実際に友達にいたら、さぞかし迷惑な奴でしょう。
アニメの中で、彼は持ち前の才能を活かしてあらゆることに挑戦します。しかし、必ずといっていいほど彼よりも賢い競争相手が現れ、あるいは徹底的にツキがなく、時には欲張りすぎ、最後にはひどい目にあってしまいます。
この「気が多い」「器用貧乏でなにもうまくいかない」「すぐに油断をして形勢逆転される」といったパターンは、このサイトの管理者にもぴったりと当てはまるのです。いや、多少なりとも心当たりのある方は多いのではないでしょうか。
ドナルドの「弱さ」は、私たちの誰もがもつ弱さの典型であると私は思います。それらは普段の生活で表に出すことは好ましくないものが多く、事実私たちは自らの身勝手さや飽きっぽさを押さえながら生活しています。

アクション映画のヒーローを観るとき、私たちは強いカタルシスを感じます。自分をヒーローに投影して、毎日のストレス源になっている上司やワガママな顧客、あるいは小狡い隣人や大うそつきの犯罪者や政治家など、仮想敵を打ち倒す快感に酔いしれます。
これは、自らが望んでもなれない仮面を身につけ、変身する快感でもあると思います(私は心理学を学んだ訳でもありませんので、このあたりは非常に幼稚な解釈なのであろうと思いますが...)。
一方で、ドナルドがもたらしてくれる快感は正反対。普段はやむを得ず身につけている「世間体」「常識」「たしなみ」といった仮面を全て取り去り、自分の感情のままに振る舞ってみたい、という願望の実現がもたらすものです。それは「立派な大人」にしてみると幼児性なのかもしれません。

誰もが心の中に、他人をないがしろにしてでも自分の望みを叶えたい、身勝手な自分をもっています。ディズニーキャラクターには、その象徴である悪役が数多く存在し、これもまたかなりの人気を誇ります。
しかし、多くの場合、こうした願望は他人の犠牲を伴うほどのものではなく、ちょっとしたワガママや気まぐれが許してもらえたら...といった程度、だからこそ私たちはちょっと羽目を外しても謝って許される程度にしか乱れないのでしょう。
ドナルドは、こんな幼児性の象徴だと私は思います。ドナルドの人気があるということは、多くの人が自分自身の幼児性を認識し、多少はガマンをしながら日常生活を送っていることの表れ、実に健全なことではないかと思うのです。
ドナルドのように自由に振る舞えたら、と思いつつも、それではいけないことを知っているドナルドファンの大人達がますます増えれば、日常のさまざまなトラブルが減っていく...というのはさすがに贔屓目に過ぎるかもしれません。

<2001.8.25>

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